2017年08月18日
三木の哲学。
知らないことを知るのって楽しいです。
しばらく前に購入した三木清著「人生論ノート」
厚さ7ミリ程度のペラペラの文庫本なんですが

なかなかブログに載せられなかったのは
内容が難しすぎたからです…。
そんな時、NHK100de名著で取り上げられ
岸見一郎さんの解説テキストが出たので購入。

この岸見さんの解説がとても丁寧でわかりやすい。
三木を尊敬しているのが文面からも伝わる解説です。
「哲学」ってなんだろう? って思っていたんですが
私なりの表現で言うと
人間の感情や感性を、理論的に表現し 腑に落ちさせることなのかな。
この本を読んで、「なんて面白い解釈なんだ」とか
「なるほどー」と 腑に落ちたところが多々ありました。
例えば、
「孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのではなく
大勢の人間の”間”にあるのである。孤独は”間”にあるものとして空間の如きのものである。」と言います。
現代の私たちは「無限定」な世界の中で
インターネットを通じて、名前も顔も知らない人と繋がっていたります。
大勢と繋がっているのに人は「孤立」していきます。
「今日の人間の最大の問題は、かように形のないものから
如何にして形を作るかということである。」と言います。
この形成を行うのは人間の「構想力」だと三木は言います。
なんとなく理解はできましたが、説明が難しいので割愛します(笑)

岸見さんが「今、三木清を再読する意味」と見出しにしたのは
三木がこれを書いた当時(1938年〜)と
今の社会状況が酷似しているからと言います。
経済的な豊かさや、社会的な成功が「幸福」とみなされていますが
自分を見失いそうな「現代」に生きる我々に
本来の「幸福とは」「孤独とは」「死とは」と言う普遍的哲学的問いと向き合い
人生を豊かにすることを一緒に考えていこう と言う思いで解説しています。
とても興味深く、面白いです。
最後に、解説にはなかったのですが「人生論ノート」の最終章
「個性について」から 気になる一節。
「個性について」
自己を知ることはやがて他人を知ることである。
私達が私達の魂が自ら達した「高さ」に応じて、私達の周囲に
次第に多くの個性を発見してゆく。
自己に対して盲目な人の見る世界はただ一様の灰色である。
自己の魂をまたたきせざる眼をもって凝視し得た人の前には
一切のものが光と色との美しい交錯において拡げられる。