2014年07月15日
呪縛からの解放。
両親と女3姉妹の次女として生まれました。
ちょうど私が 娘と同じ年頃の時から、母は、自動車の免許を取り
「仕事」をするようになりました。
わたしと姉は違ったけど、7つ年の離れた妹は「鍵っ子」だったらしい。
きっと寂しかったことだろう。
その頃から、母は 父の悪口を言うようになった。
特に、わたしには いろんなことを打ち明けるようになった。
わたしにだけ話してくれる特別感に、頼られている嬉しさと 苦しさがあった。
父は、仕事をバリバリとしていたので ほとんど家にいなく
それで、うちは「女の城」と化していった。
母からの一方的な話しで、父は私たちの「敵」になっていった。
定年を迎えた父が、仕事にいかなくなり 家に多くいるようになり
いざこざが絶えない。
ただ、その頃 姉とわたしは家を出ていたので
その居心地の悪い空間は、妹がよく知っているだろう。
その後 実家に事務所を構え、一緒に住むようになり
新しく わたしの娘(その頃3才)が家族の仲間入りをし
我が家は、新たな気持ちで スタートした。
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それでも、父と母は相変わらず仲が悪く
何かあるごとに衝突する。
そんな状況が続き、娘は中学生になった。
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先月、愛車カングーと「最後のドライブ」をした日、
実は 娘から こんなことを言われました。
「じいちゃんが可哀想すぎる。みんなから声をかけてもらえず
食事中もじいちゃんが話しかけても話しが広がらない。
みんな目を見て話さない。
みんなばあちゃんに気を使ってる。
みんなより一番寿命が短いのに、あと少ししか生きられないのに
残りの人生がこんな風じゃ、じいちゃん可哀想すぎる。」と
涙ながらに語ったのでした…。
わたしは、娘にこんなことを語らせてしまった情けなさと
恥ずかしさと 申し訳なさで すぐに返事ができませんでした。
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わたしは、今までに何度か この壁「父との和解」に取り組んできました。
アロマセラピーを習っていたとき、「乗り越えられた」と思っていました。
ですが、長年染み付いたものがあり
母がいる前で、父と仲良くしたり 父の肩を持ったりすることができません。
きっと、妹も同じ気持ちで苦しんで来たのではと思います。
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娘が気付かせてくれて、ようやく「はっ」と目覚めることが出来ました。
母を変えることは出来ない。自分たちが変わるしかないと。
わたしと娘は話し合いました。
わたしたちだけでも、積極的にじいちゃんと関わろう。話しをしようと。
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それからというもの、食事中にじいちゃんの話しに
「どう答えるか?」というミッションに取り組んでいます。
後で「さっきの受け答えは良かったね」とか「あの態度はダメでしょ」とか
お互いにシェアし合っています。
まるで娘の方が 母親のような時もあります。
不思議に思うかも知れませんが、父に対して
それだけ普通に会話ができないのです。
家族間の「強いエネルギー」は、弱いものに影響を与えます。
子どもだったり、ペットだったり。
些細なことでも、子どもは敏感に察知し 心を痛めます。
「子どもは天使」だと、本当に思います。
今まで、見て見ぬ振りをしてきた「呪縛」を
自分の力で、解き放とうと思います


P.S 妹や姉に、読んで欲しくて書きました
